2020年07月11日

(ミドル)シニアに贈る!貝原益軒の珠玉の時間哲学

江戸時代の学者で文化人貝原益軒の書いた、
江戸期の超ロングセラー『養生訓』をみてみたい。
(※関連記事に興味のある方はブログ・カテゴリーからご参照ください)

今回は、いよいよ益軒の時間哲学の真髄に迫りたい。

「一日を十日として日々に楽しむべし」

という話。



死を視野に入れていた益軒の人生哲学の背景には、

寸陰を惜しむことを説いた
徒然草』の吉田(卜部)兼好と同じく、

人生の短さへの切迫感と
来世への期待を抜きにした死生感があった。

◇ ◆ ◇

貝原益軒は、

命は朝顔のように短いものたがら、
死期は近くにあることを忘れたらいけないよ。

と言い、


老後は、若いときよりも月日は十倍も早く過ぎるから

一日を十日と思い、
十日を百日とし、
一月を一年と思って、

けっして空しく時を過ごさず、
そして楽しく過ごすのがいいよ。

老後の一日は、千金の値打ちだから、
大切にしようよ。



と言っている。

(ミドル)シニア世代の自分としては、まったくそのように思える。

今日の一日は、何たって千両箱の重みになる。

こう思えれば、

『時』は貴重と思い知らされ、
合わせて自然とニンマリ、朗らか気分にもなれる!(^^)v

実際、人生いろいろで、
日々とんでもないことも降って湧いてくることもある。

でも、
どう捉え、どのように考えるかは当人次第になる。

泣いて過ごしても一生。
笑って過ごしても一生。


そして次の一文は、

益軒から我々(ミドル)シニア世代に宛てた珠玉のメッセージだ!

◇ ◆ ◇

「(老いての後は、)
一日をもって十日として、日々に楽しむべし。

常に日を惜しみて、一日もあだに暮らすべからず。

世の中の人のありさま、わが心にかなはずとも、

凡人なれば、さこそあらめ、と思いひて、

人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。

いかり、うらむべからず。

又、わが身不幸にして福(さいわい)うすく、

人われに対して横逆なるも、浮き世のならひ、

かくこそあらめ、と思ひ、天命をやすんじて、うれふべからず。

常に楽しみて日を送るべし」


◇ ◆ ◇

《立川昭二氏の書物より参考》

さこそあらめ。
かくこそあらめ。

心は平安に。。

健康寿命を長く保ち、毎日を楽しく生きる。

さぁ、今日も千両箱ほどの、
素晴らしい一日が待っている。


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2020年04月14日

「心は楽しむべし」貝原益軒はいう

江戸時代の学者で文化人貝原益軒の書いた江戸時代の超ロングセラー『養生訓』をみてみたい。
(※関連記事に興味のある方はブログ・カテゴリーからご参照ください)

今回は、
「心は楽しむべし、苦しむべからず」という話。


心は楽しむべし、苦しむべからず。
身は労すべし、やすめ過すべからず。


とある。

そして続けて、

自分を可愛がり過ぎてはいけないよ。
美味しいものばかりを飲食し、
色を好み、体を動かさずゴロゴロして過ごす。

この様なことは、
自分の体を甘やかして過ごすことで、かえって害になってしまうよ。

無病の人が、精力剤を多用して病になるのも同様。
子どもを愛し過保護に育てて、結果、不幸を招いているのも同じことだよ。

と言っている。
(意訳)

江戸元禄の住人、貝原益軒がタイムスリップして、
現代人に放っているような言葉ではないか。

貝原益軒のいう、
「心は楽しむべし」
とは、今風のグルメや性欲を満たす享楽的な楽しみではない。

それも否定はしないが、これはホドホドが良く、度を超せば身の災いになる。

益軒のいう「楽しみ」とは、
健康で寿命を保った、いわば(ミドル)シニア世代が、
いよいよこれから、真に人生を謳歌するためのものなのだ。

自分を含めて、ある意味、昭和を釈迦力に生きて来た世代。

人それぞれに未だ何かを抱えながらも、
ようやく一息つける状況もうまれているに違いない。

これから、残りの人生こそが大事!
ただ長生きすればいい!というのでは詰まらない。

貝原益軒のいう本当の「楽しみ」を味わえる年代になっているのだから!

そのための基本は、

身体は動かして働かせることにある。
そのことが、心は静かに安らかに、心を苦しめることなく過ごせる秘訣なのだ、と諭している。

そして、楽しみとは、
人それぞれに、わくわくするもの
それがあなたの真の「楽しみ」である。

健康で長く自分の楽しみを味わえるようにしたい。
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2020年03月16日

貝原益軒に『愛敬』を考える

江戸時代の学者にして文化人の貝原益軒
益軒の『養生訓』は超ロングセラーとなり、江戸中期以降の医療の大衆化や薬ブームと重なり、人々の健康意識は高まることになった。

その益軒が好んで使っていた言葉がいくつかある。
今回あげるのは、

『愛敬』

ということば。

人にまじはるに、愛敬の二を心法とす
是(これ)簡要のことなり、誰もしらずんばあるべからず。

愛とは、人をあはれむをいふ、にくまざるなり。

敬とは、人をうやまふをいう、あなどらざるなり。

『大和俗訓』(貝原益軒)とある。

愛は、人間愛。
そのものの持つよさを味わい愛でて心を寄せるということか。

敬は、「うやまう」のほか、「つつしむ」の意もあると説いている。

親子ほど離れた年下の妻・東軒と仲睦まじく暮らした益軒。
夫婦合作の書で、この『愛敬』の二文字と添え書きが書かれている。

フルムーン旅行をするほどの、この仲良し夫婦は、
愛敬という言葉に相応しい高度な信頼関係・人間関係で結ばれていたに違いない。

慎み敬いつつ、包み込むような大きな人間愛。

愛と敬

このような人と人の中ではいつでも安らかにいられることだろう。
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2019年11月14日

「たのむを戒しむ」を貝原益軒に学ぶ

江戸時代の学者で文化人貝原益軒の書いた江戸時代の超ロングセラー『養生訓』をみてみたい。
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今回は、「たのむを戒(いま)しむ」という話。

「養生訓」巻第二には、
「万(よろず)の事、皆わがちからをはかるべし。
  :(中略)
 分外(ぶんがい)をつとむべからず」

とある。

 自分の力の及ばないことを無理やりにすれば、「気」も減り「病」を生じることになる。
だから、己の力をはかって、限度を超えたことをしてはならない。


というように戒めている。

※断わっておくが、人が努力して何かを精進する、鍛えるというときの話ではない。

 ---
養生の道は、たのむを戒しむ
わが身のつよきをたのみ、わかきをたのみ、病の少しいゆるをたのむ。
是(これ)皆わさはひの本也。
刃のとき(鋭い)をたのんで、かたき物をきれば、刃折る。
気のつよきをたのんで、みだりに気をつかへば、気へる。
脾腎(ひじん)のつよきをたのんで、飲食色慾を過ごさば、病となる。
 ---
と言っている。

この「たのむ」とは、「過信」すること或いは「無茶」をすることである。

 自分の頑健さや若さを過信して、(まだ見た目では体を悪くしていないからと)
度を越した飲食や色欲にふけっていては、鋭い刃物も固い物にぶつかって刃が折れるようなことになってしまう。

と戒めているのだ。

現代では、ゲームや様々のわきまえぬ欲望の追及で視力を酷使したり、睡眠時間を減らしたり、
自分の体のことを考えずに、妙なことにエネルギーを使い減らしてはいないだろうか。

その様なことも警告しているのだと思う。

「医学の父」と言われる古代ギリシアのヒポクラテスも、貝原益軒「医学の限界」ということを謙虚に受け止めていた。

だから、もし人が、
「その手段を超えた病気にかかったとき、それを医術で克服できるなどと期待してはならない」
と言っている。

普段は、自分の体のことはあまり考えずに、体が悲鳴をあげるようなことをしておいて、
病気になったら医者や薬で治してもらえばいい、
という安易な考え
方をしていないだろうか。

自分の限度をわきまえて、(病気を未然に防ぐための)養生をしなさい、と説いているのである。

「病なき時、かねてつつしめば病なし」

というように考え、
わが身を過信せずに、わが身を律することが自分自身でできる「養生」(病気予防)となる。
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2019年09月02日

養生訓に学ぶ「かねてつつしめば病なし」

江戸時代の学者で文化人貝原益軒『養生訓』をみてみたい。
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養生訓では、「慎病」:病を慎(つつし)む という項目があって、

「かねてつつしめば病なし」

と繰り返し指摘している。

「慎(つつし)む」とは、今の言葉でいえば「用心する」「自制する」ことで、医学的にいえば「予防する」ということである。

病なき時、かねてつつしめば病なし。
 病おこりて後、薬を服しても病癒(いえ)がたく、癒(いゆ)る事おそし」

とある。

江戸中期にあって、貝原益軒は養生訓の要諦をみずから実践し、生活を楽しみながら見事に85歳まで生きた。

「病なき時」すなわち元気なときから健康意識は重要で、(病気ではないということで)
恣(ほしいまま)にしていれば、やがて病気になってしまうと警告している。

 病気が顕在化していなくても、未病(みびょう:
健康と病気の間の状態)
という状態なのかもしれない。

神経質になる必要はまったくないのだが、普段から正しい健康知識とちょっとした意識を持てば、健康寿命を伸ばすことができるのだ。

大項目でいえば、飲食、睡眠、休憩、運動の量と質を適正に心がけるということになるだろう。そして、心を楽しませるということ。

自分自身のために何よりも大切なことである。

さらに益軒は、
 病気になったらどうしたらよいか、ということも述べている。
 ---
「病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くははる(加わる)。病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。病をうれひて益なし。只、慎むに益あり
 ---
 要するに、病人に何より大切なことは、病気のことをくよくよしない、ということ。
くよくよとして気をふさぐことで、かえって病気を重くしてしまう。
それよりも、気長に養生することが大事になる。

「病をうれひて益なし」
「只、慎むに益あり」


人はいつか必ず何らかの病気になるものだが、
そんな時には、これをしっかりと、思い出すようにしたい。
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2019年07月06日

貝原益軒に「なでさすり」による健康法を学ぶ

江戸の学者・文化人で「養生訓」の著者・貝原益軒
日本人は元禄以降、庶民までが自分や家族の人生を考えるようになり、
とりもなおさずそれは、健康ということを民衆レベルで意識し始めるようになった。
当時はまだ「健康」という言葉ではなく「養生」と呼んでいた。

さて、今回は江戸期にあって自らも85歳の長寿を得た貝原益軒が教える健康法の一つを紹介してみる。

 それは、
「導引(どういん)」⇒ ようするに、肢体や関節を動かし屈伸させたり、からだを摩擦すること。

「なでる」というしぐさには、「ふれる」「さわる」による認知とコミュニケーションの機能に加えて、痛みをなだめ、苦しみを和らげる「癒し」の働きが含まれている。
撫でるは、癒しのパフォーマンスともいえるのだ。

「さする」も撫でると同様で、物の表面を反復的に軽くこすることを言う。

 益軒は、自分の体を「なでさする」ことを大切な健康法として力説している!
そしてさらに具体的に(要約すると)、

「ときどき導引して腰腹をなで(さ)すり」しなさい、と言っている。

片手を使って足の五つの指をにぎったり動かしたり、もう一つの片手で足の裏をなでさする。(軽くもみほぐすようにしてもいいだろう)
このようにして足裏を温める


膝より下の、はぎの表裏(おもてうら)を、しばしば撫でる。
足の甲を撫でて、足のうらを多く撫で、足の十指をさすったり引っ張ったりすれば気を巡らす

頭から顔、首すじにはじまり。胸部、腹部、背中、手足などからだの隅々撫でさすり、温め鎮め、気をめぐらすのである。

背中部分は、子どもの温めた手で撫でさすることをすすめているものの、
 基本は、みずからするは、もっともよし!」
として、自身による撫で・擦りを奨励している。
(いわば、自分ひとりでできる手軽な健康法 であり、脇に撫でたり擦ったりしてくれる人がいなくてもいい!健康法なのである)

 朝目覚めてから、起き上がる前にしていることがある。<秘伝?の一部である>
先ずはゆっくりと深呼吸をしながら体を存分に伸ばす。
そして、両目を覆っている骨の部分を指で軽く押し込むように刺激すると物凄く気持ちがいい

両顎(あご)の骨の部分を下から両方の親指をあてて、少しずつずらして(耳下から顎先まで)指圧すると、これがまた実に気持ちが良く生気がみなぎる

後頭部、首すじ、鎖骨や肩のあたりを順番に揉んだり擦ったり。
リンパの流れのおおもと部分だから重要だ!
臍の周りに片手のひらを当てて、右回りに30回、左回りに30回擦る。

両方の太もも付け根にあるリンパの出入り部分も重要だ。
鎖骨近辺のリンパも含めて、両手足のリンパの流れを促すには、決して力を入れてはいけない
流れに沿って軽く擦ってやればよい。

 こんなことをして寝床から起き出し、顔を洗って、テレビ体操という流れで毎日が始まっている。
お陰様で検診データ数値はまるで問題がない。
生きている間は元気にいられたらありがたいと思う。
裏返しの望みは、ポックリいければありがたいということになる。

スキンシップによる癒しは、ブログの別記事を参照ください↓
愛情ホルモンと「タクティールケア」に思う
ラベル:健康 貝原益軒
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2019年05月16日

心閑なれば歳月長し…と白楽天も、益軒もいう

貝原益軒の記した『養生訓』は、単なる健康法を説いたハウツウものではない。
江戸時代随一のロングセラーだっただけでなく、近代までも読み継がれているのは、
健康を手に入れて人生を謳歌するための、確固たる
益軒哲学といえるものがあるからだろう。

益軒は、心しづかなれば月日長し、と言っている。
これは白楽天の詩「心閑なれば歳月長し」を引用している。
人は、充実した体験や新鮮な感動、そして心のあり方によって、同じ一日を十日にもすることができるのである。

そして、
閑中つねに楽(たのしみ)多し
といい、
いとまのない人も折々に閑を求めて心を養うことをすすめている。

更に、
心閑ならざれば楽(たのしみ)は得がたし。
と言いきっている。

ところで心しづかならざる状態は、といえば、
人を恨んだり、怒ったり、我が身をうれい嘆いたりして、心に波風の立っている状態である。
こんなことは心を苦しめるばかりで、はかなく年月を過ごしてしまうだけで勿体ない。

そして更に、
されど閑静に専(もっぱら)にして動作をきらふは正道にあらず。
として、
心はあくまでも静かで、しかし心身は自在に動かしなさい。
といっている。

江戸元禄の時代、85歳まで楽しみを得て元気に生きた貝原益軒の教えである。
(立川昭二氏の本を参考記載)
ラベル:健康 貝原益軒
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2019年04月10日

「風日にあたらしむべし」を貝原益軒に学ぶ

江戸時代、元禄期前後の学者で文化人の貝原益軒
益軒の『養生訓』には、「育幼(幼を育つ)」という項目がある。

エッセンスは次のようなものになる。
……
ひとつには、「三分の飢えと寒」といい、少し空腹にさせ、少し寒い思いをさせるのがよく、
腹一杯美味しいものを食べさせ、厚着させて暖め過ごすと、子どもは病気になる、という。

もうひとつは、「小児は陽さかんにして熱多し。つねに熱をおそれて、熱を漏らすべし。(中略)
風日(ふうじつ)にあたらしむべし
といい、こうすれば身体健康になれるという。
……
貝原益軒に学んだ、香月牛山(かつきぎゅうざん)という医者も、
小児は土と水とを常にもてあそばしむれば、その熱鬱の気散じて病なし
と、著書「育草(やしないぐさ)」のなかで述べている。

その昔、我が家の子供たちが通っていた幼稚園では、
園児の靴はなく、一年中草履(ぞうり)を履いて通っていた。
たまたま通っていたその幼稚園は、そういう教育方針だったが、
確かに子どもたちはみんな元気そのもので育ったから、貝原益軒のいうことと合致している。

自分自身を振り返っても、、
育ったところが赤城山の麓(ふもと)で、空っ風吹き付ける冬の最中に鼻水をたらしながら、イノシシか何かのように野山を駆け回っていた。
子どもは体のなかにエネルギー、マグマの塊のような熱があってそれを放出することで元気に育つのかもしれない。

三分の飢え」とあるが、自分の子どもの頃は、粗食にして「四分の飢え」くらいはあったかもしれない。
結果的に、益軒の「育幼」の如く過ごした小僧時代であったため、元気でいられるのかもしれない。
ラベル:健康 貝原益軒
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2019年02月22日

貝原益軒:飲食に関する戒め

江戸の超ベストセラー『養生訓』の著者・貝原益軒は次のように言っている。
……
怒りの後、早く食すべからず。
食後、怒るべからず。
憂ひて食すべからず。
食して憂ふべからず。
……

現代でも立派に通用する教えである。
心身は互いに作用し合っているから、栄養のある食べ物も怒りや憂いの中では消化にも良くないだろう。
食べ物が喉を通らない、せっかくのご馳走も美味しく食べられない、
というようなことでは何もかもが勿体ないし身体に良くない。

自分の健康のために、それぞれの流儀で工夫をしてみたい。
ラベル:血液 貝原益軒
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2019年01月16日

貝原益軒に「授かりもの」を学ぶ

貝原益軒の『養生訓』について、医療史が専門分野である立川昭二氏の文献から、先ずはそのまま紹介してみたい。
 ……
私たちのからだは、天地父母から生まれて養われたもので、私のからだとはいえ「私の物」ではない、「天地のみたまもの」である!と益軒は宣言しています。
ここには、人のいのちは「授かりもの」であり、ひろい天地と遠い先祖につながっているものであるという考えがはっきりと述べられています。
 ……

そして、ここからがいよいよ大切なことである。
 ……
私たち現代人は、こどもは「作るもの」という意識が強いのですが、伝統的な生殖観では子どもは「授かりもの」でした。
最近の生殖技術の進歩は、子どもは「作るもの」からさらに「作れるもの」ということになり、人間の欲望を無限にかりたてています。
 
じつは、子どもは「授かりもの」という考え方は、自分のいのちも「授かりもの」という考えに通じます。

それはまた、自分のいのちは自分をこえて他のいのちとつながり、宇宙全体にひろがっているという考えでもあり、自分のいのちであっても「私の物にあらず」という思想になります。
(中略)
このいのちへの畏敬の念が、実は「養生訓」の出発点なのです。
 ……

確かに最近は、子どもの誕生も、自分のいのちも、「授かりもの」と捉える人は少なくなった。
例えば自分たちの子どもを「作った」という意識でいたら、子どもは「自分(たち)のもの」所有物であるという、とんでもなく間違ったことにもなってしまう。

ところで「授かりもの」であれば、いったい何者が授けてくれたのか?ということになる。
それは脈々と続く血脈のご先祖様であろうし、生殖の神秘と天文学的な偶然の巡り合わせであろうし、それら全部含めて人智の及ばぬ天神地神の力のようなものだろうと思う。

そしてまた、「授かりもの」ならば、授けてくれた何ものかに対しても、ぞんざいな扱いをしてはバチが当たるというものだろう

やがて子どもが親から巣立つとき、あるいは自分自身が人として命を全うしてどこかに召されるときにも、
すべて「授かりもの」と最初から心得ていれば、うろたえることなく、また人の道を誤ることはないと思える。

立川昭二氏の解説からそのように考えた。
ラベル:健康 貝原益軒
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2018年12月02日

「好物」を貝原益軒に学ぶ

「食」についていえば、現代人はかなり神経質気味に偏った捉え方をしているようにも思う。
ひとことで言えば、「極端」ともいえるかもしれない。
  -
 炭水化物は一切口にしてはいけない。
 甘いものはダメ。
 茹で野菜には醤油は一滴もかけるな。
 一日一食でいい。
  -
などなどきりがなく、健康に興味を持ちながら、こうした情報に右往左往している現代人。

しかも、、
その根拠が一面的で、どうにもこうにもどこまで信用できるのやら、
世の中にはそれなりに科学的根拠を持っている『栄養学』というものがありながら、それを無視して垂れ流しているメディアの責任も大きい。
国民の健康にかかわることなのに、残念でならない。

日本人女性の痩せすぎも心配されているが、昔は見るからに貧相な骨格の持ち主のことを「骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)」などと陰で呼んだが、
すき好んでこのような体形に憧れて成っているというのは、健康知識全版の欠落とみていい。これまた、残念で悲劇である。
いずれ年を重ねてその重大さが分かったころには手遅れの感がある。

さて、江戸の大ベストセラー『養生訓』の著者・貝原益軒は、養生つまり健康で過ごすための具体的方法に「食養生」を取り上げている。
その中から、ちょっと別の視点からとらえた真理ともいえるかもしれないことを紹介しておこう。
 ---
 食物の気味、わが心にかなはざる物は、養いとならず。かへつて害となる。
 害となるべきものは食うべからず。
 ---
たとえどんなに苦心して作ったものでも、食い気のしない物は食べるなといい、さらに、
心にかなった食物でも、食欲のないときは食べてはいけない。ともいっている。
 ---
 脾胃のこと、きらふ物をしりて、好むものを食し、きらふ物を食すべからず。
 ---
大切なことは、自分の体に合ったもの、自分の体が欲しているもの、それの自然の欲求を的確に感じ取りしることだ、いう。
そうすれば自然に自分を活かす食物をとるようになり健康でいられる

『好物』というのは、食物だけのことではなく、自分の好きなものを身の周りに置くことなども養生の秘訣。
人にはその人ごとに、その時ごとに、そのからだが欲求するものがあり、その欲求の方向にあったものがその人の好きなもの(好物)で、
それがその人を活かしていくものなのだという。
ラベル:健康 貝原益軒
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2018年06月27日

自然治癒力への信頼について、益軒に学ぶ

貝原益軒は江戸の儒者兼医者で、「大和本草」という日本最初の体系的な博物学の本を著した医学者でもあったが、
『養生訓』の中の「用薬」という章には、「おのづから癒ゆる」という自然治癒力への信頼がある。

「薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。是(これ)をしらで、みだりに薬を用いて、薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑ(え)ずして、死にいたるも亦(また)多し。薬を用いる事つつしむべし。」

ひとことでいえば、みだりに薬を用いるな、ということである。

その真意は、
「保養をよく慎み、薬を用いずして、病のおのづから癒ゆるを待つべし」
というところであるようだ。

さて現代では、処方される薬や市販薬、そしてドリンク剤の類から、いろいろなサプリメントの数々。
真に必要な薬は別として、、
病気になって、それまでに山のように飲んでいたサプリの類を全部やめた、という人の話も時々耳にする。

医学の父といわれる古代ギリシャのヒポクラテスは、「流行病」という本の中で、
「病気は自然が癒してくれる。自然は、癒すてだてを自分でみつける」
といっているそうで、
医術はこれを助ける技術と心得ていた。

体の中の自然の働きを回復することが、健康法であり医術であったわけで、
こうした考えは、貝原益軒の、
病は「おのづから癒る」という考えと重なりあうのだ。

健康でいるには、
正しい「食養生」と「運動」を中心に、不健康なふるまいを避けることが、
何よりも大事なことと気づくことであるように思う。
ラベル:健康 貝原益軒
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2018年06月12日

元禄フルムーン旅行の人

「フルムーン」という言葉を最近聞かなくなったが、調べてみるとJRの「フルムーン夫婦グリーンパス」としてまだ存在していた。

ここでいう「フルムーン」は、JR発足以前の国鉄の時代に、高齢夫婦向けの割引き切符のPRに使われてヒットした用語のことである。
このフルムーン旅行のCMには、往年のスター・上原謙高峰三枝子が出演して一躍脚光を浴びたものである。
二人の入浴シーンなど、ナレーションもよかった。

「あの忘れえぬときめを 今ひとたび。
旅に出ませんか、ご夫婦で。
  :
第二のハネムーン。フルムーン旅行。」


さて、
ときは江戸時代の元禄に、今でいうフルムーン旅行をしていた人物がいた。
その人は、超ロングセラー「養生訓」の著者・貝原益軒と、その妻・東軒である。
益軒は60歳を超えて、妻東軒を同伴して、福岡から京都まで2回も長期旅行をしているのである。

益軒と親子ほどの年齢差のある東軒との夫婦仲は、実にうらやましいほどに良かったらしい。
二人は、「愛敬」という文字と、添え書きを一幅の書に合作で残している。
ほかに、「清福」、「和楽」という言葉、生き方も大切にしていた。
(別の機会にこの言葉はふれてみたい..)

あの忘れえぬときめを 今ひとたび。
 :


フルムーン旅行の元祖ともいえる、貝原益軒夫妻。
そして懐かしい国鉄CMで往年のスターの映像を見ると、
いつまでも仲良く連れ添っている夫婦はいいものだと思うことがある。
ラベル:貝原益軒 健康
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2017年04月02日

「白駒の隙を過ぐるが如し」

「一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年として日々に楽しむべし..」
いのちみじかき事、たとへば朝顔の如く.
貝原益軒は言っている。

日月を惜しみ時間を無駄にせず、そして楽しく充実した日々を送ろうというメッセージだ。

人生ってみじかいよ!
という比喩はいろいろとあるものだ。
光陰矢の如し、朝露の如し..

その中で、荘子「白駒の隙を過ぐるが如し」 というのがなかなかうまい表現で気に入っている。
僅かに開いた引き戸から、外を駆け抜けてゆく白い馬を見るような、そんな一瞬の出来事、
アッという間の出来事が、人生だという。

瞬きほどの一生なれば、大事なことを何より大事にして人生の価値を高めるほかない。
ラベル:健康 貝原益軒
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2013年03月20日

貝原益軒に「よき程」を学ぶ

貝原益軒の養生訓には、
「凡(およそ)養生の道は、内慾をこらゆるを以本(もってもと)とす」

「其(その)大なる条目は」
と秘訣を授けている。

すなわち、
飲食をよき程にして過ごさず
である。

つまり、食事は腹いっぱい食べない。酒はほろ酔いでやめ、節度を越えてはいけない、
ということ。

また、彼は云う。
珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍(わざわい)あり。少しの間、欲をこらゆれば後の禍なし

何でも、一分(ぶ)の自制があれば随分と人生かわってくるというものだ。

馬鹿の大食い
馬鹿の三杯汁

などという言葉もあるが、大食いなどは本人にとっても何ら益することはなく、
きちんとした社会の住人からは、蔑まされる下品な行為にもあたる。

話は少し逸れるが、仮に食にありつけなくても、
「武士は食わねど高楊枝」
というような、人間の誇り高さは持っていたい気がする 🐱🐱
ラベル:健康 貝原益軒
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2013年02月16日

貝原益軒を思いつつ酒をのむ

江戸の超ロングセラー「養生訓」の著者・貝原益軒は、
85歳という長寿であった。

養生訓は、死の前年に出版されたもので、単なる健康ハウツウものではなく、
何よりも江戸人の生き方が集大成された人生の書として読まれるべきだと、
立川昭二氏は述べている。

日本には世界に誇れる人々が沢山いる。
貝原益軒もその一人であろう。

昨日は「美禄亭」というところで仲間といっぱいやった。
おそらくこの「美禄」は、貝原益軒のいう「酒は天の美禄なり」
からきているのだと思う。
心の通じ合う仲間とかわす酒は大いに血気をめぐらす。🍸🍺



ラベル:貝原益軒
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2009年01月07日

貝原益軒に酒について学ぶ

久しぶりに元禄の教養人、貝原益軒に自戒として酒について学びたい。

「酒は天の美禄なり。少し飲めば陽気を助け、血気をやはらげ、食気をめぐらし、愁いを去り、興を発して、甚(はなはだ)人に益あり。 多く飲めば、また人を害する事、酒に過ぎたる物なし。」

酒は天の美禄なり。
う〜ん、酒飲みにはたまらないフレーズである。

しかるに、少しであることが重要で、
酒はほろ酔い、で過ごせるのが達人の域というものだ。

多く飲めば、自分は勿論のこと、周囲の人にも何かと良からぬことになるからして、気をつけたい.. ビールビールふらふら



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2006年03月05日

貝原益軒に「気をめぐらす」を学ぶ

「衆人は、一日の内、気を養うことは常に少なく、気を損なうことは常に多し」
「かぎりある元気をもちて、限りなき慾(よく)をほしいままにするは、あやうし」
とある。

養生の術は、
「身を動かし、気をめぐらす」ことにあり、という。

身を動かすは、よくわかるが、どうしたら「気をめぐらす」ことができるのだろうか、というと..

一つには、まず身をうごかす、こと。
そして、
元気を害するものは、「へる(消耗)」と「滞る」ことであるという。
飲食、色欲、労働も過ぎれば、元気やぶれて減り、安逸、睡眠も過ぎれば滞りてふさがる。
また、
怒りや悲しみ、憂い、思い・・七情の過ぎて、滞るは病の生ずる基なり
と、今でいうメンタルヘルスの大事を指摘している。

心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、養生の道とするには、
およそ朝は早起きして、事を行い、食気をめぐらし・・などとある。かわいい
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2006年03月04日

貝原益軒流の「楽しみ」について学ぶ

「養生訓」で健康が大事だとするその理由は、人生を真に楽しむ事にある。
さらに、
人生の楽しみ方をついて、次の三つを具体的にあげている。

第一に、自然を楽しみ、心を感ぜしむる、ということ。
第二に、読書を楽しむ、ということ。
 山林にいらずして心のどかに、富貴ならずして心ゆたけし。
第三に、旅を楽しむ、ということ。

勿論、当世風の一時の快楽ではなく、知的好奇心によって我が心を楽しませる、ということである。喫茶店
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2006年02月26日

貝原益軒に養生の大事を学ぶ

「養生の術を学んで、よくわが身をたもつべし。これ人生第一の大事なり」
 (中略)
「然(しか)るにこれを養う術をしらず、慾(よく)を恣(ほしいまま)にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚かなる至り也」
と続く。
 
人間の本質などはそう易々と変わるものではない。
実際、貝原益軒が警告しているように、欲におぼれ、不自然な生活のために、健康を害する人は現代でも多い。

偏った食事、過度の痩身願望、欠食や不規則な食事、飲みすぎ、食べすぎ・・
夜行性、昼夜逆転生活・・
知識不足やその場限りの快楽主義のなせる業といえようか。

ちなみに、
当時は健康のことを「身をたもつ」といい、「健康」という漢語を一般人が使うようになったのは明治以降という。

欲に溺れず身をたもつことを、養生訓で説いているが、それには益軒なりのきちんとした理由がある。
(それはまた、別稿にて..)演劇

ラベル:健康 貝原益軒
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