2025年09月01日

「江戸☆大奥」特別展をみる

特別展「江戸☆大奥」を見物した。

東京国立博物館 平成館 特別展示室
2025年7月19日(土) 〜 2025年9月21日(日)


前回記事の続きで、昼食後に観て回った。

博物館のページには、

現在の皇居には、かつて大奥が存在した江戸城の本丸、二の丸、西の丸があったことをご存じでしょうか。

一見、華やかに見える将軍の後宮、大奥。
歴代の御台所(正室)と側室、その生活を支える女中たちの歴史には、徳川将軍家という大きな権力の狭間に生きてきた女性たちの栄枯盛衰が見えてきます。

その一方、壁書や女中法度などの規則に縛られ、閉ざされた生活の中で、大奥の女性たちはそれぞれの人生における喜怒哀楽を享受してきました。

娯楽小説や芝居、ドラマなどで描かれてきた想像の世界とは異なる、知られざる大奥の真実を、遺された歴史資料やゆかりの品を通してご覧いただきます。


とある。

_20250831_132900.JPG
『千代田の大奥』より「千代田大奥 御花見」(部分)楊洲周延筆
  明治27年(1894)東京国立博物館蔵

当時、文化、教養の粋を極め、超セレブでベールに包まれていた大奥。

せめて一日だけでも将軍様に生まれ変わって、
千代田の大奥で、ともに花を愛でてみたいものだ (^^)v



そんな夢は叶わないが、博物館では華やかで妖しげな大奥を少しだけ垣間見ることができるかもしれない⁈

↓NHKドラマ10「大奥」のセット『御鈴廊下』の一部再現
1756365565450.jpg

将軍様御成りの合図に「御鈴」が鳴る ♪

↓徳川将軍、家康から慶喜までの正室がずらりと並んでお迎えしてくれる
1756365565864.jpg

1756365566020.jpg

1756365566204.jpg

1756365566393.jpg

1756365566603.jpg

ウソかホントか、
正室(御台所)の皆さまは、総じて面長で美形でいらっしゃる。

そしてまた、
徳川将軍もさることながら、御台所もそれぞれに運命に翻弄された一生であったのかもしれない。

神君家康の正室・築山殿は、甲州武田家との内通などを織田信長に疑われ。。
結局、家康の命により命を奪われた。

二代将軍秀忠の正室・お江の方は、ご存じ信長の妹・市の娘(信長の姪)。
秀忠とは三度目の結婚。
姉の茶々は秀吉の側室・淀君。

三代将軍家光の正室・鷹司孝子は、早くに別居となり不遇の摂関家の娘だった。

以降明治維新に至るまで、天璋院・篤姫和宮もいる…

華麗なる光と輝き、そして鈍い闇も含めて、
江戸城の表舞台の裏側で奥向きの存在感を放っていた。

 ◇

正室/御台所を頂点とすれば、それに仕える女中たち
時代によって、
数百名、1,000人程度、
11代将軍家斉の頃には2,000人〜3,000人程度ともいわれている。

すご〜い数で、奥を支えていたものだ!
 
話は逸れるが、ひと昔前のニュースなどでは、
(たとえば…)
「交通事故にあったのは、〇〇歳の老女です…」
などと言っていたが、
「老女」というのは良くない!というので今では御法度になっている。

そりゃそうだ、
当時も「老女」はあっても「老男」という言葉はなかった!
これではいかにも女性蔑視であり、当然許せない!(と同調したい)(^-^;

だがしかし、
大奥のそれ、すなわち『老女』や『年寄』は、現代人の知ってる「老女」ではない!!!
大奥のトップ(いわば社長)にあたる。
配下の女中の仕事はさまざま。
(時代にもよるが…)
 …
江戸城大奥で働いていた女中の数は、将軍付だけで百数十人(ほかに将軍の妻に仕える御台所付の女中等も数十名)に達し、その仕事の内容もさまざまでした。
上搆苳N寄(じょうろうおとしより 大奥女中の最高位)・御年寄(老中に匹敵する大奥の実力者)、御中掾iおちゅうろう 将軍や御台所の身辺の世話をする女中)、表使(おもてづかい 渉外担当)などから、雑用係の御半下(おはした)まで。
それだけではありません。
大奥では大奥女中の職制には入らない女性たちも、それぞれ重要な役割を担っていました。

 …
と、国立公文書館のページにはある。

というわけで、
仮にどなたかが「老女」だとか「年寄」だとかいう言葉を耳にしたときには、
権威ある役職のことだと思い、受け流すのがいいかもしれない。(^-^;

 ◇

大奥の誕生と構造は三代将軍家光の時代とされ、春日局(かすがのつぼね)が重大な役割を果たした。

「春日局」の名前は朝廷から賜ったもので、本名は斎藤福。

家光の乳母で、家光を将軍の座につけたのもこの於福(春日局)。
彼女は、武家社会のしきたりにも通じるばかりでなく、公家のしきたりや素養である歌道や書道、香道なども身につけていた。
教育熱心で厳格だったため、家光の乳母・養育係に抜てきされたようだ。

こうして春日局は家光の養育を任され、後には「大奥」の制度を整備する立場にもなった。

裏の舞台で、徳川の江戸期を形作った稀有な存在でもあった。

ちょこっと、春日局 ↓(御参考)

春日局は美濃国斎藤氏の一族で、明智光秀の重臣・斎藤利三の娘。

本能寺の変後、父は処刑され没落したが、彼女はやがて稲葉重通(美濃の大名家)に嫁ぐ。

稲葉家の縁を通じて、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)に仕えることになり、これが後の出世の基盤となった。

江戸幕府が開かれると、北政所の推挙や人脈を通じて徳川秀忠・お江(家光の母)に仕えることになる。

その頃、将軍家の嫡男であった竹千代(のちの家光)は病弱で内向的。
対して次男の国松(のちの忠長)は聡明で快活だったため、母・お江は忠長を偏愛し、竹千代を疎んじるようになっていた。

春日局は、将軍家の後継は長子である竹千代(家光)がふさわしいと考える。

しかしお江与の寵愛は忠長に傾き、将軍後継問題は大きな火種となっていく。
春日局は強い決断をし、幕府の最高権力者である家康のもとに直訴。
「世継ぎは家光でなければならない」と強硬に訴え、やがて家光が将軍後継に確定していった。



特別展では、春日局の人物画や、絶大な権力を握っていた将軍付御年寄・瀧山(たきやま)の女乗物(籠)、正室の調度品などが観られる。

【おまけ】(今回展示とは無関係ながら…)
ついでに言えば、世の中に三つしかない曜変天目茶碗(すべて国宝)の内、
静嘉堂文庫美術館所蔵の「稲葉天目」は、家光から春日局に下賜されたものである!
 
江戸幕府第3代将軍徳川家光の乳母春日局が病臥した際、かつて幼少の家光の疱瘡平癒を願って「薬断ち」をした事から治療を断ったため、身を案じた家光により薬と共に下賜され、将軍自らこの碗で服薬させたという逸話が伝わる。
その後、春日局の子孫である淀藩主稲葉家に代々伝わったため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。

 
と、Wikipediaの記述を借りた。

 ◇ ◆ ◇

このあと時間があったので、本館の通常展示(総合文化展)もサクッと見て回った。
こちらも、ところどころ入れ替えがあるのでいつ行っても楽しめる。

仏像のコーナーには、私の守りご本尊様が ↓
_20250828_162714.JPG
※不動明王座像(10世紀/平安時代 京都・般舟院伝来)重要文化財
 実にいい!

日本画の巨匠・横山大観の作品なども どーんと展示されている。
1756365565277.jpg
※「寒山拾得」(二曲一双)
(ガラスケースの中に作品があるので映り込みが出てしまう…)

 ◇

さてこの後夕刻には、都内某所で仲間と合流した。

とても残暑とは言えぬ猛暑酷暑にあって、格別に有難く思うのはやはり冷えたビールである 🍺

いつものように近況やら何やら、当たり障りがあるようでないような話に盛り上がる気の置けない面々であった 


今日も元気で 楽しい一日に〜

PVアクセスランキング にほんブログ村
posted by ささやきびと at 12:54| Comment(4) | TrackBack(0) | ぶらりお出かけで.. | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは

歴史や歴史小説などに関心の深い
ささやきさんなればこその
視点ですね
私には自ら歴史等へ興味を持つほどの
知識等はありませんが
歴史と人間が表裏一体と思えば
歴史は壮大な人間ドラマでもありますね

「春日局」の本名は斎藤福とか
今の時代にも通用しますね
父親の死後、没落の憂き目の中
ご縁、運を逃さず豊かな才知、聡明さで
選ばれし者へと、、
どれだけ気丈、先見性があった
人なのかと…

正室?の女性の肖像画?は
並べて細面ですね(浮世絵風)
なので可愛い!とかのイメージはなく…
実際にはそれぞれに個性があり
魅力的な人も存在していたと
思います

「不動明王座像」
が、ささやきさんの守り御本尊様とは
どういうご縁ですか?
背面の大きな炎?に意味がありますか?
Posted by 冬菊 at 2025年09月11日 13:27
コメントありがとうございます。
生まれ年の干支によって、守護してくれる仏様が決まってるらしく、「守り本尊」や「守護神」などと呼ばれてます。

昔、お寺か何処かへ行った母親が、私の守り本尊だから、と云い、不動明王の根付けをお土産に買ってきてくれました。

なるほど、生まれ年で守ってくれる御本尊様があるのか、、と何となく有り難く思っています。
実際、お寺の御札などが並んでる小物売り場にもキーホルダーや根付をよく目にします。

冬菊さんの生まれ年が分かれば、私でも調べてお答えできます。
なんちゃって...(^^)

ちなみに、仏像背面の炎部分は、「火焔光背(かえんこうはい)」 と呼ばれるものです。
無明(無知や煩悩)を焼き尽くす智慧の象徴。仏の知恵が炎となって燃え盛り、衆生の迷いや執着を取り払うとされます。
私の陶芸窯の炎とは無縁ですが、、今後は関連付けて新解釈してみようかなぁ(^^;

今に生きる我々日本人にとっても、知れば知るほど興味深く魅力的な先人がごまんといまして、、
温故知新としても歴史は面白い分野です。
Posted by ささやきびと at 2025年09月11日 21:17
ご説明有り難うございます
生まれ年の干支からでしたか?
炎の方へ目がいきひょっとして、と…

ワタクシメの干支が判れば
守護神もわかる、、とのご親切
有難く存じ上げます

星座なら、生まれ月なら
即、応えられるのですがァ
ささやきさんの上の上のお兄さん?
イヤ、その上かも〜〜

(返信はご無用でございます)
Posted by 冬菊 at 2025年09月12日 12:30
ささやきびとの、いつもの戯れ言につき...大丈夫です、万事心得ておりますよ〜、冬菊さま (^^)

ところでこの、守り本尊様を子どもの頃に知ったのですが、、
ドラマ水戸黄門の助さんか格さんのように、露払いをしながらずっと一緒に旅をして貰っているように思えます。
不謹慎ながら、何やらとても身近で頼もしく有難い存在に思え、初恋の人以上の「情」さえ湧いておりますです、私の「不動明王」様に...
相変わらずの単細胞です♪(^_^)/~~
Posted by ささやきびと at 2025年09月12日 14:01
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック