2024年12月14日

幻の「瀬戸内しまなみ海道」◆中国から四国へ

旅のダイジェスト紀行は、宮島から尾道まで進んだ。
次は、松山の道後と高知の友人を訪ねて四国の旅になる。

まずは愛媛。
伊予柑など子どもの頃から知ってる蜜柑の産地。
そしてまた、何といっても印象的なのは、
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の三人の主人公、秋山好古、真之の兄弟、正岡子規は、この伊予松山で生まれ育っている。そういう土地柄でもあるのだろう。

日曜の深夜、スペシャルドラマ(NHK)として再放送中でもある。↓

司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、日露戦争とその時代を生きた明治の青春群像を渾身の力で書き上げた「坂の上の雲」を原作として描く人間ドラマ。

明治維新によって、はじめて「国家」というものをもち、「国民」となった日本人。
近代国家をつくりあげようと少年のような希望を抱きながら突き進んだのが「明治」という時代であった。
松山に生まれた3人の男、バルチック艦隊を破る作戦を立てた秋山真之、ロシアのコサック騎兵と対等に戦った秋山好古、そして俳句・短歌の革新者となった正岡子規。彼らは、時代の激流に飲み込まれながら、新たな価値観の創造に立ち向かい、自らの生き方を貫き、ただ前のみを見つめ、明治という時代の坂を上っていった。生まれたばかりの「少年の国」である明治の日本が、世界の中でいかに振る舞っていったかを描く。

とサイトにある。また、
「この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない」
と物語の作者は記す。

◇ ◆ ◇

ところで、一所一泊の旅。
身動きを考えて大き過ぎず小さくもないリュック(55L 35L)に荷物を積めて持ち運びした。

衣類などは最小限で、下着、靴下
、替え着などは二枚。
毎日入浴時に洗濯し、翌朝半乾きの衣類をドライヤーをあてて乾わかした。
そして、百均で買った冷凍保存袋を大きくしたような「圧縮袋」に入れて、くるくるまるめて膝などで体重をかけると、「プシュー」っと空気が抜けてコンパクトになる。
(これは旅には絶対便利!)

◇ ◆ ◇

話を戻そう (^^)
尾道で目覚め、朝の準備を終えて予定よりも早くホテルを出発した。

尾道から新尾道までバスで15分程度、そして新幹線駅の新尾道から、いよいよ11:00発の高速バスに乗り、
風光明媚な「しまなみ海道」で瀬戸内海を渡り、愛媛・松山へと向かう...予定だった! のに...

けれども、
余裕をもって到着した新尾道で、何と高速バスに乗れずの大失態を演じる!!

《ガ〜ン!!》×100

お粗末な事の顛末は、番外編として別途記録に残したい(^^;

気を取り直して、松山の友人から教えて貰った別ルートで四国へ向かった。
・JR新尾道→(新幹線)→岡山→(特急しおかぜ)→松山→(路面電車)→道後温泉

約4時間遅れで何とか目的の道後温泉まで到着した。
↓どたばたの挙げ句、ようやく駅前に立つ(証拠写真) (^^;
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↓伊予電鉄の路面電車
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このような「坊っちゃん列車」が、時々市内を走るらしいが、通常は道後温泉の駅前に停車している。



さて、商店街の少し先には、有名なあの「道後温泉」そのものがある!

その前に商店街にあるローソン(の看板)

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よく見ると、最初の「L」の文字だけが無灯。
その訳は「L」字の左下にその名残りが...ツバメの巣。
夏に巣作りをしたツバメのために眩しい灯りを切ったという。
ニュースに取り上げられたので結構有名らしい♪

◇ ◆ ◇

そして商店街の先には「道後温泉」

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今さら語るまでもないが御参考。

『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルとなった「道後温泉本館」は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。
国の重要文化財に指定されている、道後温泉を象徴する建築物です。



それにしても、大失態で大幅な遅れになりお友だちには大変なご迷惑をかけてしまった。
折角、松山の名所を巡るプランも台無しにしてしまい、
ただただ猛省...

けれども、到着時刻が宵となり、
灯りがともった道後温泉のその建物は、一層相応しい雰囲気と風格を醸し出してくれた!

道後で待ち惚けを食らったその人は、
「近くに住んでいても夜の景色をこうしてじっくり見ることはないから調度良かった!」
と嘘でも優しき慰めの言葉に、ほんの少しだけ救われる思いがした (^^)

◇ ◆ ◇

紹介して貰った旅館にチェックイン。

↓どうごやの雰囲気ある入口
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夜は道後で定評のうどんと釜めし屋さんにて舌鼓。

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麺のコシも出汁も美味しい名物のうどん

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鯛釜めしもグー♪

お膳には天ぷらや茶碗蒸しなどもあってどれも美味しく頂いた。
また食べたいお味の「大黒屋」さん料理!
(写真を撮り忘れたのでお借りしたもの...)(^^;

◇ ◆ ◇

翌朝目覚めると、朝6時から営業が始まる道後温泉本館の温泉に行った。
南棟及び玄関棟は大正13年竣工の歴史ものらしい。

一般の湯船は700円の入湯料で、自分の家の近くにある掘削の温泉よりも低料金なので驚いた。
但し、観光目的で別の湯船や2階、3階などの施設利用は別料金。

旅館は食事無しのプランなので、朝は駅前の喫茶店に友人も足を運んでくれて、ゆっくりとモーニング

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↓この角度だと、右側に「坊っちゃん列車」が少し見える
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↓その後、駅近くを少々散策
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↓公園は色付きはじめた紅葉色が迎えてくれた
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↓駅前のからくり時計。正時になると動き出すので見物客が集まり出す。
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↓(松山市立)子規記念博物館
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正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとが松山の歴史や文学に親しみ、理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館です。
と、サイトにある。

正岡子規 イコール 「俳句」に間違いないが、
病魔と闘いながらも大成し34歳で他界した正岡子規。
私は子規の次の言葉に最大限の潔さを感じる。

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。





次なる最終目的地・高知を目指し、親愛なる同志に見送られ道後温泉を後にした
今回は列車による瀬戸大橋ルートになり、「しまなみ海道」を渡る旅は幻に終わった。
いつの日か再チャレンジとなるかもしれない


今日も元気で 楽しい一日に〜

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posted by ささやきびと at 07:08| Comment(2) | TrackBack(0) | ぶらりお出かけで.. | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
四国、いいな〜
ブロ友さんがいらっしゃって、お会いしてみたいな〜と思ってから四国は行ってみたいな〜と思っている場所です。
有田みかんもおいしいし〜

ハピ家で学びをして口うるさいのはわたしだけです(笑)
家族はついてこない…(笑)
でも、くじけずアドバイスし続けるしつこいハピ妻母なのであ〜る(笑)
Posted by ハピハピハート at 2024年12月14日 10:56
コメントありがとうございます。
ハピさんも瀬戸内海を越えての旅がいつか実現しそうですね(^^)
四国もいろいろ、名所名物もいろいろですのでお楽しみください。

ハピ家の要は妻であり母であるハピさんの御様子。理想の家族像に向かって明るく楽しく合意形成出来ればハピハピハッピーですね(^^)
Posted by ささやきびと at 2024年12月14日 15:52
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